ソキュアス/”正しさ”が堕ちた世界にもまだ、わかりあえなさという名の希望が残ってる。

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株式会社ソキュアス(代表者:川近充)、株式会社Haguremon(代表者:大谷吉秀)、株式会社LLT(代表者:河本伸也、由佐美加子)は2020年9月17日、三社協同で人が心の痛みの奥にある願いとつながる術をわかち合う場、メンタルモデル*アカデミア( https://mentalmodelacademia.com/ )を開校し「誰もが他者の痛みを自分の痛みのように扱える社会」を目指します。

*「メンタルモデル」は、合同会社CCCと株式会社LLTが扱ってきた人間の内的構造の理解から望む現実を創り出す智慧です。

 

  • わかろうとしなかった他者を知らされた機会

・天気の子
・JOKER

上二つは2019年に日本で公開された1278本の映画の中でも突出して注目度が高かった映画といえます。
実際、3週以上に渡って興行ランキング1位を獲得した稀有な映画です。
また、私たちの当たり前の向こう側にいるらしい、自分の存在を祝福された記憶すらないような人々の存在が描かれている点も共通点の一つと言えるかもしれません。

そういう人が孤立した環境に置かれている可能性が高いこと。
余裕なく暮らす人々の心は傷つきやすい状態に置かれているから、ほんの些細な出来事で決壊するということ。
そして、口撃や暴力の循環は世代を超えた連鎖をもたらすこと。

死に物狂いで逃げ出したくなるような環境で育まれた感情を完全には知り得ないまでも、ただのエンターテイメントで終わらない新しい視点を縫い込んでくれた映画でした。
ジブンゴトのように感じる人もいれば、胸がざわざわして共感はできなかったという感想を抱いた方も多かったように見受けられます。
 

  • 不要不急のつながりがもたらしたもの

 

共感ができないものが溢れる空間として今やSNSもその筆頭格になりつつあります。

SNSがくれたつながることの手軽さは、素の自分を受け止めてくれる居場所やまだ見ぬ新しい出会いをくれた一方で、つながらなくてもいい人ともつながれてしまうようになったという見方もできます。

悪口を言ったら傷つく人がいること。
悪口を言った人は忘れても言われた人は忘れたくても忘れられないこと。
そして、降り注ぐ膨大な悪口が命に換わるほど重い絶望になること。

そんな当たり前のことを当たり前のようには想像されない世界では、排除や反撃に転ずる選択肢も身近になりました。

攻撃と無関心、加害者と被害者の境界線が曖昧になった今、SNS上の誹謗中傷コンテンツへの検閲や規制を求める声が上がる一方で、様々な問題点も挙げられています。

一つの大きな問題点は、検閲のために情報の門番へ規制のライセンスを与えてしまうと、それをお墨付きとして正当化し、利益を追求したり守ったりするために表現を規制する可能性が出てくる点です。
建設的な批判などの表現も萎縮してしまうと、社会や文化の発展までも阻害してしまうこともあります。
さらにもう一つは、どんなに悪意や憎悪に満ちた言論を完璧に遮断したとしても、攻撃的な態度や思考の根幹にあるものは決してなくなりはしないこと。
検閲を自由な言論への攻撃と解釈した傷はそのまま残り続け、認知されない世界の隅っこで集団となり、いつかの復讐の機会を待ち構えています。

そんな悲劇の再生産だけは私たちは何としてでも避けなければならないからこそ、正しさを超えた共感が大事だと考えます。

しかし、この”共感”という言葉もどこか白々しさを帯び始めたように感じます。
 

  • “共感”にぬくもりを取り戻す

”共感”というキーワードにすがるようになってからはもうそれなりの年月が経ちました。

短期間の成長を”正しさ”として強いられる現代においては、常に人より先んじていることが最善の戦略と言えます。
唐突に親が目の色を変える受験戦争から始まり、人生のランク分けとされる就職前線、天井知らずに求められる成長。
焦りと疲弊が付きまとう競争社会では、人の気持ちに寄り添うどころか自身の自然な感情を持たないようにすることが生き辛さの軽減になったりもします。

「自称サイコパス」が免罪符としてまかり通り「あの人は感情的だから」と感情豊かなことを知性が低いかのように語られるからこそ、作り出すものや届けることにも”共感”という人間味を差し込むことが大切になったのだと考えられます。

“共感”

世界に人間がいる限り、新しい未来への扉を開くには共感という鍵が不可欠だから、誰も共感しないものをつくるなんて選択肢はありません。

しかし、「共感してもらおう」「共感させよう」とするものが溢れた結果、共感疲れなるものもまた生まれ、人に元来備わっている豊かな感性が機能停止に晒されています。

エゴにかじられ続けた”共感”の空っぽさを早々に見抜いた敏感な人たちは離れていっているようにも見えます。

共感もそこに体温がなければ何の意味も持たない二つの記号の組み合わせに過ぎません。
だから、共感にぬくもりを取り戻す必要があります。

 

  • 新しい希望の名”わかりあえなさ”

イギリスには共感に関するこんなことわざがあるそうです。

「裁く前に、その人の靴を履いて1ヤードは歩いてみる」

遠ければ遠いで自己責任という言葉で背を向けて、近くに降りかかると正しさの魔力にうつつを抜かしてしまう今の社会が忘れてはいけない大切な姿勢です。

正しさ自体が悪いわけではないのだと思います。
でも、どうしても自分の本心と世界にある正しさの境界線を見失った瞬間に生まれる生き辛さは捨て置けません。
今はびこっている正しさには確かに、自己肯定を強烈に促す力がありますが誰かの傷を癒すことは叶わないのです。

だから、いつの間にか自分の中に取り込んだ正しさを私たちは知らなければなりません。
本当の自分の心の奥底から湧き上がってくる声と外側の声を見分ける術を持つことは必要です。
そういったものをあやふやな概念ではなく豊かに生きるための確かな技術として学べる空間がメンタルモデルアカデミアです。

わかりあえるまで諦めるなといった根性論ではなく、わかりあえなさを包む技術がここにはあります。

共感にぬくもりを取り戻すための一歩は、私たちの内側にある自分にすらわかってもらえなかった痛みを見つめること。
どうしようもなく悲しい体験の裏側にある構造を掴み理解に変え、切り捨てて来た弱さとも傷ともつながり直していく。
この過程の中で感じること全てが痛みを受け入れるプロセスであり、その先には新たな愛しい体験が待ちわびています。
誰にもわかられなかった痛みとつながれてはじめて、私たちは正しさから一番遠い場所で他者と出会えるのではないでしょうか。
わかりあえなさから出発したつながりには正しさが付け入る隙がありません。
自分にも痛みがあるように他者にも痛みがあると感じ取れる可能性が私たちにはまだ残されています。

ぬくもりを取り戻した共感で包まれたわかりあえなさは、私たちの希望です。

稚拙なきれいごとのように聞こえるかもしれません。
でも、理解できないものへの嘲笑的な態度や攻撃的な姿勢に社会を豊かにする力はないと既に私たちは知っています。
わかりあえなさをどれだけ排除してもつながれなかった歴史を随分長いこと歩いてきたのだから。
革命は社会を変える起点にはなりえますが、実際に社会を育むのは関係性や振る舞いといった私たちのあり方です。

これからも時に、親しい友人や恋人といった間柄でもSNS上の素顔の見えない関係性でもどんな形であれ、他者と本当の意味ではわかりあえないと感じるときは必ずやってきます。

どこかで一人で抱えきれなかった痛みが暴発した際の矛先には誰がなったって可笑しくはありません。
不本意にそこに選ばれて怒りや悲しみに支配され感情を切り離したくなったとしても、いつか自分が誰かにとっての加害者となる可能性を忘れずにいることが今の私たちには求められています。
攻撃や皮肉の仮面で蓋をすることでしか保てなかったかもしれないギリギリの心を”正しさ”の刃で刈り取る一歩手前で踏みとどまり、立ちすくむ繊細な心は弱さではありません。

復讐に躊躇することは、臆病な姿勢ではなく誇るべき尊厳です。

攻撃ではない知性の種を、ここから私たちは共に育んでいけるはずです。
 

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